創建当時より興正寺は、尾張高野としても名高く、
尾張徳川家歴代藩主や文化人など多くの人の信仰を集め、
数々の至宝がこの八事の地に納められてきました。
現在まで残るこれらの至宝・霊宝の数々は、
興正寺の歴史遺産で、
広く皆さまに見聞して頂きたいと願い、
四季折々に宝物展を開いております。
信仰としての寺宝
高野山で授かった弘法大師御所持の五鈷杵をはじめ、律法伝授の至宝の唐招提寺(奈良)の開基 鑑真和尚の袈裟や尾張徳川家二代藩主光友公が造立された大日如来坐像、奥之院(東山)、観音堂(西山)など諸堂や、唐絵釈尊図に代表される掛軸など、信仰の拠りどころとしても貴重な尊像・法具・荘厳具などが寄進され、霊宝として今でも面々と大切に受け継がれています。
三衣一鉢
興正寺開山天瑞和尚は出家後も各地で修業を重ねましたが、三十七年間所持していたと伝わる托鉢の道具類が残されています。これらは、修行僧が持つことを許される「三衣一鉢」のうちで、興正寺創建後も盛んに各地を行き来した和尚の姿が偲ばれます。
鑑真和尚二十五條袈裟
興正菩薩(叡尊)が所持していた品。泉州大島山神鳳寺の元真和尚から天瑞和尚に伝えられたとされます。袈裟は僧侶が身に着ける布製の衣装で、インドでは出家者は衣服を含む私有物を持たないことから、捨てられたぼろ布などを拾い集め綴り合わせたものを纏いました。
五鈷杵・三鈷杵
それぞれ、弘法大師と興教大師の御所持と伝わり、天瑞和尚が高野山 圓通律寺(眞別処)で授かったとされる品です。
歴史・文化としての宝物
これらの宝物は、由緒書や什物帳に記され、厳重に管理されてきました。また、ほかにも一万点を超す膨大な古文書や経典が残され、明治期に「八事文庫」の名でまとめられていることも広く知られています。近年では、昭和期に納められた「唐人物図屏風」と「梨木禽鳥図屏風」が幻の名古屋城二ノ丸御殿の襖絵であったことが判明し、名古屋市の有形文化財指定を受けました。
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雲龍玉角香炉
玉は中国で古来より珍重されてきた宝石とされる石で、白玉や翡翠をさします。これはその玉でつくられた香炉で、上面に雲龍が刻まれています。
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枝珊瑚
愛知県に残る最も古い珊瑚のひとつ。興正寺創建の折、光友公より賜った品。イタリア近海で採取された紅珊瑚と考えられています。
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松竹梅蒔絵硯箱
光友公愛用の品。全体を梨地とし、蓋表に松、蓋裏には土坡に松と梅、懸子に竹を配しています。
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葵紋金庫
三段鍵付きで、梨地に精緻な文様が描かれた豪華な金庫で、付属の小箱には葵紋も配され、格調高く気品あふれる作りです。
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秋草蒔絵文机
光友公愛用の品。梨地に女郎花、すすき、菊、桔梗、萩、撫子といった秋の草花が配されいる華麗な文机です。
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一節切「鳳吹」
光友公愛用の品。竹に金蒔絵で「鳳吹」の銘と安土桃山から江戸時代初期に活躍した一節切尺八中興の祖「大口宗勲」の名が記されています。
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蓮弁文彫彩漆盆
光友公より賜った品。中国南宋時代(12~13世紀)の彫彩漆の盆。茶・赤・黄・緑・黒などの色漆を15層重ねたものを彫ることで深みのある色彩を生み出しています。
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唐人物図屏風
名古屋城の二の丸御殿を飾った障壁画のひとつで、名古屋城にまつわる史料「金城温古録」にもその記録が残されています。京狩野派の作とされています。
国指定文化財
五重塔 | 指定 1982年(昭和57年)2月16日 文化庁 国指定文化財等データベース |
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名古屋市市指定有形文化財
木造聖観音菩薩立像 | 指定 2006年(平成18年)5月22日 |
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銅製大日如来坐像(総本尊) | 指定 2010年(平成23年)4月23日 |
銅製大日如来坐像(試し大日) | 指定 2010年(平成23年)4月23日 |
唐人物図屏風 | 指定 2010年(平成23年)4月23日 |
梨木禽鳥図屏風 | 指定 2010年(平成23年)4月23日 |
過去の宝物展(抜粋)
2011年(平成 23年) | 「和敬静寂」 赤楽茶碗(九代了入作)など、興正寺が所蔵する茶道具を展示紹介 |
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2016年(平成 28年) | 「⽂字は語る」 書体や目的により表現が広がる文字について、掛軸・巻子を中心に展示紹介 |
2016年(平成 28年) | 「涼を愉しむ」 夏を描いた作品の中から「涼」をテーマに23点を展示紹介 |
2017年(平成 29年) | 「お地蔵さまに会いに」 延命地蔵・身代わり地蔵・子安地蔵、様々な信仰を集める地蔵菩薩について展示紹介 |
2017年(平成 29年) | 「ちいさな仏展」 圧倒される大きな仏像ではなく、掌に乗るちいさな仏さまを展示紹介 |